【解説6】
ミラーニューロンとは


ヒトが知性と情動を共有するための必須要素

ミラーニューロンとは、他者が行動するのを見るだけで、同じように活性化する脳の神経細胞です。 この研究は、脳研究にとってきわめて重要な役割を担っています。 ミラーニューロンはコミュニケーションや学習を促進し、他者の情動を理解するための必須細胞なのです。


他者の行動をまねるミラーニューロン

1992年のある日のこと。 イタリアのパルマ大学人間生理学研究所のジャコモ・リゾラッティ教授らの研究チームは、アカゲザルを使って、脳の運動前野と呼ばれる領域の研究を行っていました。
運動前野とは、脳の前頭葉側方、随意運動すべてをつかさどる運動野の前方に位置する領域で、たとえば何かをつかむといった、目的指向的な運動を行なうときにこの部分の神経細胞(ニューロン)が活動し、微弱な電気が流れます。
リゾラッティは、サルの脳のこの領域に電極を埋めこみ、どのような状況で運動前野のどの部分が活性化するのかを記録していました。
そしてその日、予定の実験を終了した彼らは、休憩時間に研究室でアイスクリームを食べ始めました。ところが、彼らがアイスクリームを口に運んだとたん、サルの脳の運動前野が活性化したことを示す信号音が鳴りはじめたのです。
見ると、サルは人間たちがアイスクリームを食べるのを、うらやましそうにじっと眺めています。そして、人間がアイスクリームを食べるたびに、運動前野の特定の部分のニューロンが反応するのです。
このとき反応していたのは、運動前野の「F5」と呼ばれる領域でした。しかし、運動前野とその後方の運動野は、自発的・随意的に何らかのアクションを起こすときに活性化する領域です。
そのなかでこのF5領域のニューロンだけは、他人の行動を目にしただけでも、自分が行動を起こすときとまったく同じように活性化するのです。
その事実に気づいたリゾラッティらはさらに、どのような条件下でこのニューロンが活動を起こすのか、実験を重ねました。
たとえば、サルがトレイの上の餌を自分でとるとき、F5の特定のニューロンが活動したとします。このニューロンを記録しておき、次に人間が同じようにトレイの上に乗った餌を手でつかみあげる動作をサルに見せます。すると、このときも前回とまったく同じニューロンが反応を示します。
次に、部屋の明かりを消し、暗闇のなかでサルに餌を取らせます。このときにもやはり同じニューロンは活動するから、視覚的に自分の行動を確認できようとできまいと、自発的な行動であるかぎり、このニューロンが活性化することは間違いないようです。
でも――同じ条件で、ヒトが餌をペンチでつまみあげるという行為を見せても、ニューロンは反応しません。
すなわち、サルは、行為の主体が自分であれ人間であれ自分と同じ種類の行動をとったとき、それを“自分の行動と同じもの”と認識しており、その際にこのニューロンが作動するのです。
それはあたかも、他者の行動を写し取り、脳のなかでそれを反復しているように見えました。そこでリゾラッティらは、この行動を写し取るニューロンを鏡になぞらえ、「ミラーニューロン」の名で1996年に公表したのです。



常識をくつがえす情報処理ルート

その後の研究により、ミラーニューロンと同じ働きをもつニューロンは、サルにおいては頭頂連合野のなかの「PF 野」と呼ばれる領域、側頭連合野の上側頭溝領域前方などでも発見されました。
さらに、ヒトの脳においても、サルのF5に相当する領域(ブローカ野)で同様のミラーニューロンが発見されました。
ミラーニューロンがサルやヒトの脳内に存在するという事実は、脳科学の研究者たち、とりわけ心とは何か、無意識とは何かという脳の高次機能に関心を持つ人々に大きな衝撃をもって受け止められ、脳科学における20世紀最後の大発見と評価されています。
では、ミラーニューロンの何が、そんなに重要な意味を持つのでしょうか?
そのひとつは、これが脳機能をとらえる際の従来のキーワード、「機能局在」という概念をくつがえすものだったからです。
先の例で考えてみましょう。サルが自分で手を伸ばし餌をとるのは、自分の運動に関する情報(運動情報)であり、人間や他のサルが餌をとるのを見るというのは、目という感覚器官を通して入ってくる情報(感覚情報)です。
従来の脳機能論では、このように「発生する場所」も「入力経路」もまったく違う別系統の情報は、それぞれの情報を専門に受け持つ脳の別々の場所で処理され、情報の内容が「理解」されるものと考えられていました。
そして、それらの細かい要素の積み重ねがまとまり、全体として、それらの認識を受け止め、世界と向き合う「私」という存在(自我)が形成されるというのが一般的な認識だったのです。
ところが、ミラーニューロンの存在は、このような常識をあっさりとくつがえしてしまいました。
このニューロンは、運動情報と感覚情報をまったく同じ次元で処理し、これによって、他者の行動を自分の感覚として理解し、「私」という認識を形成するのに大きな役割を果たしています。というより、このような情報処理のルートがなければ、本来人間が「私」という認識を確立するのは非常に難しかったと思います。
機能局在論では心の問題は説明しきれないのではないか、と、多くの研究者がずっと考えつづけていたのですが、この問題に初めて物理的な裏づけを与えたのがミラーニューロンなのです。
次に、このニューロンは人間同士のコミュニケーションの進化をつかさどり、もしかしたら言語の誕生にも大きな意味を持っていた可能性があります。
人間同士のコミュニケーションの始まりは、まず間違いなく、さまざまなボディ・ランゲージだったはずです。
他人がある身振りをし、その意味が理解できたとき、自分も同じ身振りでその意味を他人に伝達することができる、と気づくことによってコミュニケーションの普遍化が始まります。それが言語という手段に進化しても、ミラーニューロンの果たす機能は変わらないのです。


行為の意図までも識別する超機能

要するに、さまざまな局面から見て、ミラーニューロンは自分と他人とをはっきり区別することからはじまります、脳のすべての高次機能の基盤をなす細胞である可能性が高い、ということです。さらに、ミラーニューロンは、視覚だけでなく、他の感覚系からの情報も統合して同じひとつのイメージに結びつけること、他者がどういう行動をとっているのか完全な情報を与えられなくとも、ヒントさえあればその行動を正しく類推して活性化することができるのです。
たとえばサルに、紙を破く、ピーナッツの殻を割る、などの行為を何度か見せ、そのときの音を聞かせると、すぐに行為そのものを見せなくても、音だけで起こっていることを正確に脳裏で再現し、あたかも自分自身がその行為を行っているかのようにミラーニューロンが活性化するようになります。
また、人間が食べ物を手でとる仕種(しぐさ)を何度か見せ、次に食べ物を衝立(ついたて)で隠して手の動きだけを見せても、サルはその動きが何を暗示しているのかを読み取り、ちゃんとミラーニューロンは作動します。
この実験は、さらに精密なレベルで何度も再現されています。
F5野に電極を埋めこまれたサルでは、単にニューロンが活性化されているかどうかを示すだけでなく、その強度も明らかになります。
そこで、人間が食べ物をつかみあげる動作、何もない場所からつかみあげる真似だけをする動作をそれぞれ見せてみ ると、明らかに後者のほうがミラーニューロンの反応は弱いのです。
次に、食べ物がそこにあることをサルに見せてからその手前に衝立を置き、そこに人間が手を伸ばすと、ミラーニューロンは強く作動しますが、何もない場所を衝立で隠して同じことを繰り返しても、ニューロンはほとんど反応しません。
つまり、明らかにサルは状況の違いを明確に識別しており、関心が高い状況にのみ強く反応するというわけです。
さらに複雑なミラーニューロンの機能としては、行動の意図の識別というものもあります。
サルが食べ物を、口に運ぶために手でつかんだときには、下頭頂葉のミラーニューロンは強く活動しますが、食べ物を容器に移すだけのときには反応は弱いのです。
同じように人間が食べ物を口に運ぶ場面を見せると、このニューロンは強く活動しますが、食べ物を容器に移すだけだと反応は弱いのです。このように、明らかにミラーニューロンは、自分の行為・他人の行為を問わず、その行為の意図を識別する機能をもっているのです。
これらの実験結果から類推されるのは、ミラーニューロンが「行為の意味の理解」を根本的な部分で支える主要なハードウエアである、ということなのです。他者の行為の理解と自己への同化という能力がなければ、本質的に学習という行為などあり得ません。
他者とのコミュニケーションという行為もミラーニューロンなくしては本質的に不可能でしょう。


心の動きを理解するための能力

それを強く示唆するのが、自閉症とミラーニューロンの関係についての研究なのです。
自閉症という心の病気については、多くの方がご存じでしょう。そのほとんどは子供に発祥し、最大の特徴は、他人とのつながりを持つことをいっさい拒否するという点にあります。
自閉症の子供とコミュニケーションをとろうとしても、彼/彼女らは私たちと視線を合わせることすらせず、言葉をうまく話すこともできず、周囲の状況や他人の意思にもいっさい配慮しません。
ときおり感情を爆発させて暴力的な行動に及ぶこともありますが、ほとんどが長時間自分の殻にとじこもり、外部からの刺激に反応しようとはしません。人の動作を真似ることを苦手とし、あるいは、どうでもいいような些細な行動に異常にこだわったりもします。
こうした自閉症という症状が、医学の世界ではっきりと認知されてからすでに70年以上になりますが、この病気の原因について、完全な説明がなされたことはありません。
たとえば小脳の何らかの機能的障害、あるいは幼少期にわずらった脳梗塞による小脳の機能不全と結びつける説もあります。
小脳の障害は確かに多くの自閉症患者に共通して見られるものですが、通常見られる小脳の機能障害と自閉症の間には、かなりはっきりした症状の違いも存在するといわれています。
また、幼児期に親から受けた虐待、とくに性的虐待が子供の精神に大きな影響を及ぼし、自閉症の原因になるという説がマスコミで取りあげられ、あたかも根本的な原因であるかのようにいわれることも多いのですが、実際にはこれは、先入観をもった研究者やカウンセラーが最初からそう決めつけた調査の結果であることが多く、まったくあてにはなりません。
そこで現在、ロンドン大学のユタ・フリースと、ケンブリッジ大学のサイモン・バロン=コーエンらによって唱えられている次のような仮説があります。
すなわち――自閉症とは他者の心を類推し、その心の動きを理解する能力が根本的に欠如することから起こるものであり、おそらくは脳のなかに、自己と他者との関係性を正しく認識するのに必要な領域が存在し、その領域に何らかの異常が起こったときに自閉症が発病すると思われる――と。
この仮説は、ミラーニューロンの発見よりずっと以前に発表されたものですが、発病のメカニズムはまさにミラーニューロンの機能障害そのものでした。そう、他者とのコミュニケーションを確立するのに必要な脳の回路が機能障害を起こしていたなら、対人関係失調のもっとも強い症状、自閉症が起こるのも当然なのです。


他者の行動を予測する「心の理論」とは?

ここでいよいよ話は、ミラーニューロンの核心、心はどのようにして形成されるのか、という点に踏みこむことになります。
自閉症が、大きくいえば「世界」と「私」の完成構築の失敗であること、別な言い方をすれば、自分と同じように他人も心を持つ、という事実を理解できなかったことによる病気であるとすると、そこにミラーニューロンというハードウエアの不調が関与していることは確かでしょう。
この「他人が自分と同じように心を持つ」という類推能力、さらには、他人が自分と違う考えを持つことまでも理解する機能のことを、認知心理学の世界では「心の理論」と呼んでいます。
この言葉は、アメリカの心理学者ウドラフとプレマックが、1978年に始めて提唱したものですが、現在では心理学だけではなく、知能、あるいは意識を取り扱うあらゆる科学の領域において普遍的な概念となっています。心の理論においては、ある個体(ヒトやサルなどの高等哺乳類)が、他人の心についてちゃんと認識し、それを推し量る能力があるか否かを、いくつかの基本的な実験によって固定するという手本が確立されています。
たとえば子供たちに、紙芝居などで次のような状況を見せます。
ふたりの登場人物が部屋のなかにいます。そのうちのひとりが何かの品物を籠(かご)のなかに入れ、部屋を出ていきます。その間に、もうひとりがその品物を別の箱に移します。
さて、戻ってきた人は、ボールをどこで捜そうとするのか? と、子供たちに問いかけるのです。
このとき、状況を最初から把握している子供たちは、部屋を出ていった人物の心のなか(記憶)を推し量り、「籠」と答えます。
そう、子供たちはすでに自分の心を登場人物の心に置き換える、という能力を発揮していることになるわけです。しかし、このような正解を見出せるようになるのは、通常4歳児以降で、心の理論が身につくようになるまでには、一定の時間的臨界値が必要なのです。
あるいは、複数のサルのうち、一匹だけにおいしいエサのありかを教え、仲間のいる檻(おり)に戻します。そして檻の戸をあけてやると、このサルはまっすぐにエサの隠し場所へ向かいます。最初のうちはエサを独占しますが、すぐに他のサルもその事実に気づき、このサルの後を追ってエサを横取りするようになります。
すると最初のサルは、檻を開けられてもまっすぐエサへ向かわず、わざと関係のない場所へ他のサルを誘導するなどの欺瞞(ぎまん)行為に及ぶようになるのです。
このサルもまた、他のサルの考え方を自分の脳内でシミュレートし、その結果を予測して、自分に有利な結末へと流れを変えることを学んでいるのです。


ニューロンは心の必須アイテムだった

こう考えると、心の理論が成立する過程において、ミラーニューロンがいかに重要な働きをしているかが理解できるでしょう。
他者の心を自分の脳に映し、その内容を理解するうえで、ミラーニューロンというハードウエアが脳に備わっていなかったら、どういうことになったでしょう。
ミラーニューロンの機能不全が自閉症のもっとも重要な原因であることは、ほぼ確実であると思われますが、すべての人が自閉症では、どんな社会も本質的に成立することができません。
他人を理解すること、相手の心を推し量ること、円滑なコミュニケーションを成立させること――― すべてが、ミラーニューロンの機能に直接かかわってくるのです。
そういう意味において、現在の日本社会は、軽度のミラーニューロン機能不全症が蔓延しているといってもいいかもしれません。
しかし、それよりも私たちにとってなお興味深いのは、他者の心を推し量ること、すなわち「相手も自分と同じようにものを考えていると認識すること」が、心を持つことの定義となり得るのかどうか、でしょう。
実は、この定義自体、すでに完全な循環論法に陥っているのですが、それにしても、お互いが「相手はものを考えて いる」と認識しあう集団においては、おのずから先のサルのように、自分の利益のために相手をだましたりサボタージュしたり、という行動が発達します。
それが集団の利益に反するようなものであれば規制するモラルが発達し、これがさらに各個体の心の構造を複雑にする、という正のフィードバック効果が起こるのです。すなわち“心は心を進化させる”のです。
これは、たとえば人工知能に心は宿ることができるのか、などという哲学的課題を研究するうえで、見過ごせない問題になるでしょう。
たとえその中身はブラックボックスであっても、見かけ上の振る舞いで知能ではないことを判別できないなら、それはすでに知能と同等である、という見方もできます。
また、そのような知能を人工的に再現するなら、脳のハードウエアを精密に模倣する人口ニューロンのようなものが望ましい、という考え方もあります。
ならば、そのようなマシンが、人工ミラーニューロンを搭載し、他者の行動を自分に写し取って自分自身のプログラムを書き換え、学習していく能力を獲得したならどうでしょう?
それが高度な社会性と、他のマシンの心(プログラム)を推し量る能力を持った存在になる可能性は十分にあります。すなわち、心――あるいは心と区別がつかないもの――を内蔵した人工知能の誕生となります。
もちろん現時点では、そこまでいいきる研究者は存在しません。でも、ミラーニューロンの研究が、近い将来に人工知能の研究に飛躍的な展開をもたらす可能性は、否定できないのです。